
大阪大親会の歩み
—第二章—
組合事業の確立
1955(昭和30)年~1966年(昭和41年)の間には春闘を始め、雇用対策法が制定されるなど、各企業のの間で組合結成の動きが活発になりました。
1968(昭和43年)大親会をはじめとする大末建設の協力会社を組合員とする「協力協同組合」が結成されました。
結成以前は、資材の調達は各協力会社であったことから、協力協同組合として組合員が必要とする鉄骨などの消耗品を共同購買することなどで、組合員の自主的な経済活動の推進力となることを目指しました。
そして、資材の共同購買以外にも、相互扶助の精神に基づく組合員による貸付制度などの共同事業が行われ、協力会社間での協力体制が確立されていくことになりました。
大末建設と双方有益な条件のもと密に連携し、工事を支障なく行なえるよう、強い連帯感を持つ会として 1972(昭和47)年大親会は「大阪大親会」と名称を改めます。
家族のような結束力
大阪大親会初代会長石橋総太郎氏は「家族としての親子のような、人情味あふれる組織」を目指し大阪大親会を発展していきました。
まず、協力会社間の関係を見直す必要がありました。
大阪大親会は建設業界の古き習慣を改善し、職種による上下関係が色濃く残る「労務・外注・設備」の垣根をなくし、対等な関係を気づいていきます。
このような取り組みは、協力会社の労働環境の改善にもつながり、風通しの良い体制に共感し、大阪大親会に入会を希望する協力会社は多く、当初より会員や大末建設の推薦がなければ入会できないほど、非常に狭き門でした。
大末建設は、大阪大親会を協力会社団体として尊重し大阪大親会からの要望に尽力するなど協力を惜しみませんでした。
一方で大阪大親会も大末建設が受注競争を勝ち抜くための”技術力”を向上させるとともに、問題なく工事を完成に導くための”安全の確保”に力を入れる必要がありました。
